体感治安

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高校生が母親を殺害、という異常な殺人でワイドショーは大にぎわい、 という全く楽しくない今日この頃。 こういったニュースが報道されると、いつもセットで叫ばれるフレーズが、 「安全神話の崩壊」というやつだ。 このフレーズの効果はなかなか大きく、小学生の子供たちは首から防犯ブザーを下げて登下校しているし、 知らない人に挨拶してはいけませんという指導がなされていると聞く。 これが果たして子供にとっていいことなのかという議論はさておき、 今日はこの「安全神話の崩壊」について考えてみる。

まずは、リンクから。
「体感治安と実際には落差」(o^-')b 東京新聞♪|女子リベ  安原宏美--編集者のブログ
踊る新聞屋−。: [社会]「『安全神話の崩壊』という神話」が崩壊する足音が聞こえる?かな

犯罪認知件数は警察の活動方針に大きく左右され、国際的な統計指標を援用すれば、殺人、暴行、窃盗など、日本のあらゆる犯罪被害は一貫して減少してきている。「古き良き時代」と懐古される昭和30年代は、殺人や強盗で摘発される少年が戦後最も多かった。少年犯罪の「低年齢化」も、統計的に根拠がない。
(浜井浩一氏(元刑務所職員・犯罪学者))

この「少年犯罪の低年齢化」については犯罪白書で確認できる。
平成18年版犯罪白書資料(pdf)
この資料4−4 少年刑法犯の主要罪名別検挙人員(P344)を見ると、 確かに少年による殺人や強盗の摘発数がピークなのは戦後50〜60年代であることがわかる。

少年刑法犯検挙人員推移

他の傷害、暴行その他の犯罪も、50年代〜60年代に多く、 最近は減少傾向であることが確認できる。 浜井氏は刑務所勤務を続けて来られたプロなので、 他の発言についても信用できると思う。

「安全神話」の意味は、治安が良くて、妙な事件に巻き込まれる確率が小さいステキな良い環境ですよ、という意味であるとして良いだろう。 「安全」というのは統計的な数字に基づいた、確率的な数字として表現される一方、 「安心」は「人が安心する」という心の話だから、 かならずしも統計確率的な数字とは一致しない。 例えば、飛行機が落ちて死亡する確率は車に乗って事故に遭う確率よりも低いのだが、 飛行機の方が「安心」できない人がいるというのが、 体感安全と実際の安全が乖離しうるというわかりやすい例だろう。

さて、「異常性からものすごい耳目を集める事件」が一つ起きても、 「そういう異常な犯人に自分又は身内が殺される確率」というのは、 ほぼ0のまま変化しない(報道による模倣犯の出現で0+εぐらい増えるかも)。 その一方で、そういう派手なニュースが報道されることによって、 体感安全は大きく変化してしまう。 相手が見えないからこそ、不安は大きくなっていく。 こうして体感安全と実際の安全は乖離して行く。

「危険だ」というのは人間にとって非常に強いサインだからこそ、 気軽に発してもらっては大変困る。 乱発されると狼少年になってしまい(もうなりかけている?)、 本当のサインも見逃してしまうようになってしまうことが最も危惧される。

従って、メディアは、一つの異常な事件から 「安全神話の崩壊」と報道するのではなく、 統計的なデータに基づいて報道して欲しい。 と言うだけでなってくれてりゃ世話ないか・・・


まとめ
・「安全」への影響は統計的な数字を見るべきであって、 一つの事件をもって「安全」を語るのはおかしい
・異常な殺人を犯す人がいると、メディアが大きく報道するため社会に与えるインパクトは大きく、体感安全が脅かされ実際の安全と乖離する
・メディアは一般受け狙いじゃなく、ちゃんとデータに基づいて報道して欲しい

参考)
平成18年版犯罪白書のあらまし(目次)
平成18年版犯罪白書資料(pdf)
 目を通すと色々興味深いが、資料1-8 5ヶ国における殺人・窃盗の認知件数・発生率(1988〜2004年)(P319)、資料3-4 受刑者の国籍等別人員(P337)あたりもおもしろい。