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★★★★★
多くの悩みを自分で解消することが
できるようになる魔法の4つの質問。
人間関係の悩みは、
言ってしまえば自分で作り出し、
自分で悩んでいるだけだったりする。
それは、同じ環境に置かれていても、
とっても悩む人と、大して悩まない人が
いることからもわかる。
従って、
外部環境(相手の性格、言動など)は、
きっかけではあるけれども原因ではない。
瞬間的にキレることもできるし、
笑って流すこともできる。
一生忘れず、復讐に燃えることもできるし、
さっさと忘れて、次に向かうこともできる。
同じきっかけに対しても、様々な対応ができる。
これは、アドラー心理学の考え方でもある。
では、悩みの原因はなんなのだろうか。
イラっとする、怒る、沈む、などの反応は、
現状を否定していることから起きる。
例えば、
「相手はもっと私に気を使うべき なのに、
そうしないから腹が立つ」
というように。
1 「それは本当ですか? 」
2 「その考えが本当であると、絶対に言い切れますか?」
こういった、悩みの元となる思い込みは、
自分の中で、疑いの余地がない
「前提」と なってしまっていることが多い。
でも、それって、本当なんだっけ?
と疑ってみる。
現状を否定したところで、
他人を変えることはできない。
自分が変えられる裁量を持っているのは、
自分のことに限られているからだ。
変えられない他人のことを 変えようとするから、
苦しくなるのだ。
更に、自分に質問してみる。
3 「そう考える時(その考えを信じる時)、あなたはどのように反応しますか?」
気を遣わない相手に、イライラする。
相手に対して、攻撃的な態度になる。
4 「その考えがなければ、あなたはどうなりますか?」
期待を裏切られることもないので、
相手に対してイライラすることなく、
穏やかに接することができる。
なんと、
相手が変わらずとも、 自分の考え方一つで、
自分の態度も、心の平和も変わってしまう
ことがわかった。
結局、
「相手はもっと私に気を使うべき」 という、
現状に逆らった思い込みこそが、
苦しみという幻想を作り出していた正体だった。
最後に、この思い込みを、
様々な角度でひっくり返してみる。
「相手はもっと私に気を使うべきではない」
「自分は、自分にもっと気を使うべき」
「自分は、相手にもっと気を使うべき」
自分が変えられるのは、自分だけなのだから、
この方が真実味がある。
現状に逆らった思い込みの方が、おかしかったのだ。
- 自分が変えられるのは、自分だけ。
自分について責任があるのは、自分だけ。
- 他人が変えられるのは、他人だけ。
他人について責任があるのは、他人だけ。
- 他人の人生について、
何がベストかわかっている、おうするべきだ、
なんておこがましい。
他人が自分に対してそう思っているとしたら、
どう感じるだろう?
- 現実は、現在すでにそうなっているのだから、変えられない。変えようとするから、苦しくなる。
こんな考え方を採用してみたら、
生活の中で、感情を害することが、
どんどん少なくなっていった。
もちろん、ゼロにはならない。
人間だもの。 そういうときは、
上の4つの質問を 自分の中で回してみる。
すると、自分が変な思い込みを
持っていることが判明したりする。
「時間を無駄にしてはいけない」とか、
「自分は他人より優れているべきだ」とか、
「はしたないから、欲望を表現するべきではない」とか…
こういった思い込みは、
疑われる対象から外れた「前提」と
なってしまっていることが多いので、
自分で気付くのは難しい。
そのヒントとなるのが、
「イラっとする」「モヤっとする」などの、
ネガティブな感情。
自分の感情をチェックしておき、
あれ?と思ったら、上の質問を回す。
そうすると、妙な思い込みがどんどん外れ、
軽くなっていく。
かなりインパクトのある本だった。
オススメです。
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新しい自分に目覚める4つの質問―――ストレスや苦しみから自由になれる「問いかけ」の力
メモした部分が多かったので、
自分用に下に貼っておきます。
興味のある方はどうぞ。
自我というものは、 愛するということがありません。 何かを欲しているだけです。 愛は何も求めません。 すでに完璧だからです。 何も欲しないし、必要としないし、 「〜すべき」というものもありません。
精神的指導者を求めに インドに行く必要はありません。 あなたは、精神的指導者と 生活を共にしているのです。 パートナーは、あなた自身が 自由になるために必要な すべてを与えてくれます。
ただ謙虚であり、 自分を擁護したいという衝動を 少しももたない… 自分をまったく無防備な状態に置くのです。 こうした無防備な状態というのは、 とても味わい深いものです。
誰かに自分を 理解してもらいたいのであれば、 自分自身を理解することです… 自分の考えを探求し、 あるがままの現実こそが、 自分が望んでいることだと わかるようになると、 その人についてあれこれ判断を 下すことがなくなるでしょう。
恐れから行動すると、 愛を受け取ることができません。 「愛されるには〜しなければいけない」 という考えを信じ込んでいるからです。 ストレスを生む考えはすべて、 あなたを他の人たちから 切り離してしまいます。
相手の欠点が目に入る時は、 そこに自分自身の欠点があると 思ってよいでしょう。 自分の投影であるからには、 その欠点はあなたのものであるはずです。
あなたはこういう人だ、と 私が決めつけるたびに、 自分自身がそういう人になる。 例外はない。 私は自分自身の心の痛みであり、 自分自身の幸せ。
相手を愛さない時、 あなたの心は痛みます。 なぜなら愛は、あなたの本質だからです。 ただし、相手を愛するように 自分を仕向けることはできません。 自分自身を愛することで、 自然に相手を愛するようになるのです。
あの人は自分のことを愛すべきだ という考えを信じると、 心の痛みが始まります… 人から愛や承認を求めることは、 あなたはそのままでは完全ではないと 見なすことになります。
唯一、意味のある関係というのは、 自分自身との関係です。 あなた自身を愛する時、 あなたはいつも一緒にいる人を 愛します。 逆に、自分自身を愛さなければ、| 他の人と一緒にいることが 居心地よくありません。
私自身の体験からいえば、 自分を満たすために 誰かを必要とはしません。 そのことに気づいたとたん、 相手が誰であっても、 私は満たされた状態になります。
傷ついた感じや 何らかの不快感というものは、 第三者が引き起こすことは できません。 自分以外の誰も、自分を 傷つけることはできないのです。 傷つくのは、自分が傷ついたという ストーリーを信じる時だけです。
あなたが望むことを 相手がやってくれるなら、 感謝しましょう。 そしてやってくれないなら、 相手を挟まずに、 あなたが直接やりましょう。
結局のところ、 子供をコントロールすることは できません。 そもそも何に対しても、 コントロールできないのです。 コントロールすべきだと考えるのに、 実際にはコントロールできていないと、 気分が落ち込みます。
「十分なお金がつくれたら、 お金を安全に確保できたら、 自分自身のケアをしよう。 その時、幸せになるだろう」。 そして、「その時」が 来ることはないのです。
起こりうる最悪のことというのは、 「私自身について 私が考えていることを あなたが考えている、 と私が考えること」 です。ですから私は、 「私」だらけの中にいるのです。
ビリーフをもたずに生きる時、 私たちは本当に生き生きとする。 オープンで、信頼し、 待つことができ、 今、目の前に現れるものに 取り組むことを愛する。
「赦し」とは、あなたが起きたと 考えていた通りのことは じつはおきていなかったと しることです。 ですから、そもそも赦すべきものは 何もなかったのです。